リングは試合をするためのもの

ネタが無いわりに、海外サイトへネタ拾いに行く元気もないので、日本のどうでも良い話題でお茶を濁します……。

2人は9月の第1回大会前日、久々に再会して意気投合し、武士道精神の世界発信を約束。佐山は「当日は切腹の儀式とか、武士道の覚悟の姿を発信する」と、マット界史上初の(模擬)切腹の公開を宣言した。切腹するのは門下生で、佐山は介錯人を務める。
http://daily.jp/ring/2006/11/30/0000179967.shtml

だそうです。佐山聡といい、月二回刊の格闘技雑誌といい、タナボタ優勝をした総合格闘家といい、何だか右傾化した訳の分からないナショナリズムはリングには持ち込まないで欲しいですね。
そもそも現代の我々が武士道と聞いて連想するものは、江戸時代以降士族の不平不満を精神的に抑えるために時の為政者が自分に都合の良いように御用学者たちにでっち上げさせたもの(と僕は理解してます)。それが結果的に清貧を是とする日本人(いわゆる「美しい日本」ですか)を形成していくのですが、江戸時代以前の日本人と言えばまさに機会主義者とも言うべき節操の無い生き方が是とされてきた民族だったんですけどね。歴史家の中には、日本に活力が無くなったのはまさにこの「武士道」を美徳とする思想の変化が原因であるとする人もいました。つまり武士道という価値観はここ数百年で形成されて無理矢理押し付けられてきたものでしかないのです。大体切腹というのは本来は自分がいかに豪傑かというのをアピールするための死に方であって、「命惜しむな、名こそ惜しめ」を表現する自己アピールに過ぎませんでした。それによって自分の遺族が厚遇されるように頑張って痛い死に方を選択したわけです。
海外興行でやるならまだしも、今回「無頼漢」のリング上での切腹ごっこに何の意味があるのか解りませんが、リングは試合をするためのものです。あまり恥ずかしいことはしないでいただきたい。