オリンピックを観ていて思うこと

今回のトリノオリンピック。一般的にはかなり盛り下がってます。
どのテレビを観てもメダル、メダルと、まるでメダル乞食のようにメダルを取れなきゃ何の意味もないかのような報道のされ方をしております。かく言う僕の周辺も
「今回は日本人がメダル取れないから観る気起きないよ」
という意見がかなり多数を占めています。しかし今行われているトリノオリンピックは、やはりオリンピックなのですから、世界中のトップアスリートたちが世界最高峰の技を比べ合い、その頂点を目指して日々素晴らしい戦いを繰り広げているわけです。その競技に全く無関心である人たち以外には(いやたとえ無関心な人にとってもですが)、非常に充実したコンテンツであることは間違いありません。しかし日本人が活躍出来なければ、そのコンテンツの価値は一般層にとってかなり低いモノになってしまうのが現実なのです。
それは格闘技にとっても同様のことが言えるでしょう。世界のトップレベルの選手たちが集う日本の二大格闘技プロモーション。我々格闘技ファンは「トップレベルの選手たちが素晴らしい戦いを魅せてくれれば、一般層にもその面白さは伝わるはず!」と信じている部分があります。確かに事実かもしれません。しかし一般層に「届く」ためには、やはり日本人選手の存在が不可欠なのかもしれません。届かなければ伝えることはできないのです。K-1やPRIDEがなかば強引とも思える手法を用いてでも日本人選手をプロテクトしようとするのは、そんな切実な理由があるのでしょう。
今回のオリンピックを観ていてそんなことを思いました。